ヘミシンク。
スピリチュアル好きの方なら、一度や二度は目にしたことがある言葉ですね。
でもヘミシンクって、いったい何なのでしょうか。
ほとんどの人はヘミシンクについて詳しくは知りません。
それどころか誤った知識から誤解している人も少なくありません。
ということで今回は、ヘミシンク公認トレーナーのHiroがヘミシンクについて分かりやすく説明していきたいと思います。
・ヘミシンクについての正確な知識が身につく
・ヘミシンクの正しい始め方が分かる
最後までお付き合いくださいね。
ヘミシンクとは?
ヘミシンクについて説明する前に、まずは現状について。
ヘミシンクを知らない人がヘミシンクについて調べようとする場合、多くは「ネット検索」もしくは友人知人に「訊く」の二択となります。
友人知人に訊くという方法は、友人知人がヘミシンクを知っている場合に限られるため、ほとんどの人はネット検索で調べることになります。
そうすると、たくさんの情報が一気に出てきますよね。
その中にはヘミシンクに関する正しい情報も勿論ありますが、誤解を招くような情報や情報発信者自身がちゃんと理解せずに発している情報も数多く含まれています。
善し悪しは兎も角、これが現状です。
巷に溢れるヘミシンク情報
ヘミシンクについて情報を持たない人が、こうした清濁雑然とした大量の情報を目の当たりにすると、どれが正しくてどれが正しくないのか判断が付きません。
その結果、とりあえず検索結果を俯瞰して上から順番に読んでいくか、目にとまった記事タイトルのページを開いてみるかするのでは?
で、どの情報が正しいのか・・・判断がつかず途方に暮れる
ってなるのが関の山。
ご自身でやってみれば分かりますが、どの情報を信じればいいのか判断できる人はほとんどいません。
じゃあどうする?
ヘミシンクを検索して出てくる情報
検索して出てくる情報には「ヘミシンク凄い」といった肯定的なものから「ヘミシンク止めとけ」といったネガティブなものまで実にさまざまです。
ヘミシンク公認トレーナーの私としては「凄い」という情報も「止めとけ」という情報も、そのまま信じるのは危険なのでは、と思っています。
その理由を説明していきますね。
ネガティブな情報を信じてはいけない理由
まずはネガティブな情報から。
検索してみて目に付くのはどうしてもネガティブな情報です。
これは私たち人間が「ポジティブな情報よりもネガティブな情報の方に注意を向けやすく記憶にも残りやすい」という心理学でもよく知られた「ネガティビティ・バイアス」という特性を持っているせいです。
ですからヘミシンクに関して肯定的な記事が大勢を占めていたとしても、それらの中にわずかでもネガティブな記事が混ざっていればそちらに注意が向きやすく信じやすいわけです。
これは私たち人間が持っている特性のせいなので、ある意味しかたのないことではありますが、だからといってその情報が正しいものでないならそのまま信じてしまうというのは如何なものかと思うのです。
そのまま信じてしまう前に、その記事の信憑性の判断材料をひとつ提供したいと思います。
誰が書いた記事なのか
ヘミシンクに関するネガティブ情報として多いのは以下のようなものです。
・ヘミシンクは危険だからやめた方が良い
・科学的根拠がない
こうしたことを記事に書いている人はいったいどんな人でしょうか。
何の根拠もないとか危険だとか言うのですから、それなりにヘミシンクに関して詳しい人なのでしょう・・・そう思って記事を読み進めてみると、本人はヘミシンクを試したこともなく、ほかの記事からの情報を鵜呑みにして書いていたり。
いわゆる「二次情報」というヤツですね。
自分ではなにひとつ体験もせず、他人の情報をそのまま信じて記事にしている。
実はネガティブ系の記事にはこうした二次情報がとても多いんです。
二次情報ですから、本人には実体験はありません、あくまで伝聞情報に過ぎません。
当然のことながら独自の内容は皆無です、だって二次情報ですから当たり前ですね。
そんな人の書いた記事を信用しますか?
するかしないかは、あなた次第です。
スピリチュアルは科学に非ず
さてもうひとつのネガティブな情報として「科学的根拠がない」というものがあります。
こうしたことを言う人にも困ったものです。
だってスピリチュアルは科学ではありませんから、科学的な根拠を示すことはとても困難です、というより不可能です。
これって極端な例えで説明するなら「自動車エンジンの原理を生物学的に説明せよ」と言われているようなもので、そりゃ説明出来んわな・・・って話に近い。
スピリチュアルと科学の唯一最大の相違点は「物質を対象としている」か否かです。
科学は物質を対象とした学問分野であり、対象物は物質として存在します。
存在するもの(出来事)を対象に仮説を立て確証を得る努力をする。
その結果、衆人の認める確証が示せればそれは科学的に「正しい」となります。
ポイントは「物質」を対象としているという点です。
たとえば宇宙の起源を知ろうと宇宙望遠鏡の画像データからさまざまな情報を得て、そこから宇宙の起源についての新説を確証を以て示す、ということは科学では可能なことかも知れません。
巨大な宇宙望遠鏡が捉えるほんのわずかな星の画像は、星が存在するから映るわけですよね。
これは星が物質であり、それに関する何らかの情報を得ることが出来るから科学的に研究できるわけです。
ではスピリチュアルはどうでしょう?
スピリチュアルが対象としているものは物質ではありません。
たとえば死後世界。
死後世界の有無に関する議論は別の機会に譲るとして、死後世界が存在したとしても、それって目に見えますか?
見えるのであればそれ(死後世界)は物質と言うことになりますが、私たちは見ることはできませんよね。
なぜ見えないか、それは死後世界が物質ではないからです。
もうひとつ別の例えを紹介しますね。
前世の記憶。
前世の記憶を持っている人は少ないながらも存在します。
彼らの記憶のほとんどは勘違いであったり夢の記憶であったりと、本当の前世記憶とは言いがたいものですが、中には本当に前世の記憶がなければ説明の付かない事例も存在します。
しかしながら、この前世の記憶というのは「物質」ではないんですね。
その人の記憶にあるだけで、何らかの物質として存在するものではないため、その存在を確証を以て説明することは困難です。
テレパシーや遠隔透視なども同様に物質ではないため、科学では説明が付きません。
スピリチュアルが対象としている事象の悉くが物質ではない「非物質」なので、そりゃ科学で手の出る話じゃないことがお分かりですね。
ですから「科学的根拠がない」という指摘そのものが、まったく意味のないものであるということなんです。
スピリチュアル関連の情報は一次情報を参考にする
事ほど左様に、こうした首を傾げたくなる内容の記事の多くが「二次情報」であるということに注意が必要です。
スピリチュアルは、科学のように確証を以て示すことの困難な分野ですから、発信される情報の信憑性を客観的に判断することは簡単ではありません。
では何を以て「信用出来る情報」と判断すれば良いのでしょうか。
それは情報発信者の「体験」だと私は思います。
自らの体験をもとにした、スピリチュアルに関する理解と認識がしっかりと書かれているか、がとても重要だと思うのです。
実際に自分が体験した内容をもとに情報発信するからこそ、そこにリアリティが生まれ読む者を納得させる。
確証を以て説明出来ないスピリチュアルではありますが、本人にとっては自身が体験したことはどんな確証にも代えがたいものです。
こうした一次情報が含まれている記事かどうかを、是非とも信頼の判断材料として頂きたいと思います。
ヘミシンクの原理
前置きが長くなりましたが、ではヘミシンクとはいったい何なんでしょうか。
バイノーラルビートを応用した音響技術により開発された「特別な音」を聞くことで、脳波を特定の意識状態へと誘導し、通常の意識状態では体験し得ないさまざまな体験を可能にする技術
のことです。
何が何だか分かりませんよね。
もう少しかみ砕いて説明していきましょう。
脳波と意識状態
人間の脳波と意識状態との間には相関関係があると言うことが分かっています。
脳波というのは、人間の脳の表面から発生している微弱な電流のことで、これが意識状態の変化に連動してその振動数が変化します。
私たちが目覚めて日常の活動をしているときと、ソファに座ってリラックスしているときでは脳波の振動数も違っているんです。
一般的に、意識がリラックスするに従って脳波の振動は下がっていきます。
覚醒時の脳波をβ波と呼びますが、リラックスするに従い脳波はα波と呼ばれる振動数へと下がっていきます。
さらに振動数が下がり、浅い眠りに入る状態になるとθ波と呼ばれる状態へと変化していきます。
そして睡眠が深くなるに従い、脳波はδ波と呼ばれる状態となります。
このように脳波と意識状態との間には密接な関係があるんです。
自ら脳波をコントロールするのは簡単ではない
私たちは、自分の意識状態をある程度はコントロールすることが出来ます。
たとえば興奮して気分が高まっているとき、深呼吸を繰り返すことで徐々に気持ちが落ち着いてきますよね。
また、ストレスの多い社会生活を送っている人の中には、毎日瞑想する習慣を取り入れている人がいます。
これも日頃のストレスをため込まないために有効な方法と考えられていますよね。
事ほど左様に、私たちは自分の意識状態をある程度はコントロールすることが出来ますが、その範囲はとても狭いと言って良いでしょう。
自分で出来るのはせいぜい、高ぶった気持ちを落ち着かせたり平常心を保つための呼吸法を実践したりといった程度のことでしょう。
でも意識状態というのはもっと広い意味を持っています。
たとえば深い瞑想状態や催眠状態、白日夢、夢を見ている状態、酩酊状態など、普段とは異なった意識状態も多々あります。
そして驚くべきことに、死後の意識状態というのもあります。
まあこれは死後も意識が存続するという前提に立った場合の話ですが。
(死後の意識については別の機会に説明することとし、ここでは「死後も意識が存続する」という前提で話を進めますね)
こうした意識状態は普段とは違うという意味で「変性意識状態」という言い方をします。
ヘミシンクは「音」を使って、こうした変性意識状態へと私たちの意識を誘導するオーディオ・サウンド・テクノロジーなんです。
どのようにして特定の意識状態へと誘導するのか
ヘミシンクの原理をもう少し踏み込んで説明します。
ヘミシンクはバイノーラルビートを応用した、と説明しましたが、バイノーラルビートとはどのようなものでしょうか。
バイノーラルビートとは、左右の耳にわずかな周波数差の音を聞かせることで生じるうねりを利用して、このうねりの周波数に脳波を誘導する技術です。
右耳に100Hz、左耳に104Hzの音を聞かせると、周波数差の4Hzに相当する「ウヮンウヮンウヮンウヮン・・・」といううねり音が聞こえてきます。
それと同時に、この4Hzに相当する脳波が脳幹という部位で生成されます。
この4Hzの脳波はδ波に相当し、深い睡眠状態のときの脳波となります。
脳波と意識状態には相関関係が認められているため、バイノーラルビートによって意図的に特定の意識状態へと誘導することができるということになります。
ただしヘミシンクは単なるバイノーラルビートではなく、いくつもの周波数差のペアをミックスして聞かせることで、よりピンポイントで特定の意識状態へと誘導することが可能なんですね。
ヘミシンクはスピリチュアルと言えるのか
さて、賢明なあなたはある一つの事実に気づいたはずです。
ヘミシンクの原理はバイノーラルビートを応用した特殊なサウンド(ヘミシンク音)を聞くことで脳波を特定の意識状態へと誘導する、というものでした。
これ、スピリチュアルですか?
脳波と意識状態の関係についてもバイノーラルビートについても、これらはみな科学的に認められているものばかりです。
つまりヘミシンクは科学的に説明の出来る原理で成り立っているものである、ということです。
だとすれば、ヘミシンクは純粋に科学的なものなのでは?
原理は科学だが・・・
ここまで説明してきたように、ヘミシンクの原理は誠に以て科学的なものです。
でもヘミシンクというと、体外離脱体験とか死後世界探索とか過去世体験とか、巷で言われている内容はどれもこれもスピリチュアルなものですよね。
これってどういうことなんでしょう?
ヘミシンクそのものは科学的なものであり、そこに怪しげな要素はいっさいありません。
しかしながら、ヘミシンクは私たちの意識状態を変性意識状態へと誘導していきます。
変性意識状態へと誘導された私たちは、その意識状態で様々な体験をするのですが、その体験がスピリチュアルであるということなんですよ。
たとえば、ヘミシンクによって死者のとる意識状態(があるとして)に誘導されたとき、私たちはそこで何を体験するのか。
これは体験した人にしか分からないことです。
え、その体験が本当かどうか、どうやって証明するのかって?
それを証明することは不可能です。
だって科学ではないですからね、その体験はどこまで行ってもスピリチュアルなもの。
衆人の認めるものではないです。
でもそれで良いんだと思います。
体験した本人は衆人に認められたくて体験するのではないのですから。
純粋にその世界がどうなっているのか、といった好奇心が出発点であり、その結果自分自身でヘミシンクを試してみた。
そして「自分だけ」のスピリチュアル体験をした。
周りの人たちが何と言ったとしても、その体験の真偽は自分が知っている。
これ以上確かなものはないと思うのですが、いかがでしょうか。
まとめ
今回はヘミシンクについて、原理を中心に私自身の考えを説明してきました。
世の中には科学で説明の付かないことが山ほど存在します。
しかし科学で説明が付かないからと言って、それらを切って捨てることはあまりにも無謀だと言わざるを得ません。
科学で説明の付かないことに対しては、科学のアプローチではない方法で解明していく必要があります。
ヘミシンクはそうした「非科学」を解明するための有力なツールと言って良いのではないでしょうか。
また、説明の中で私は「一次情報が重要ですよ」という話しもしましたよね。
ヘミシンクに興味があるのなら、あなた自身が体験してみるのが最も確実です。
そうすることで初めて、あなた自身がヘミシンクの一次情報発信者となれるのです。
私のこの記事を読んだだけでは、あなたの理解はいつまで経っても二次情報に過ぎません。
昔から言うじゃないですか、百聞は一見にしかずって。